できて当たりまえ

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新学期が始まって、
約1か月が過ぎましたね。

今年、新一年生になった
お子さんたちは、
少しは落ち着いてこられましたか?

進級し、
クラス替えで
新しい環境になったお子さんたちは、
もう落ち着いてこられましたか?

子どもたちにとって、
学校やクラスは
一日に占める時間が長くて、
家庭とともに、
生活の中心にすらなっている場所。

その環境が
大きく変わる4月は、
いつもお子さんたちが、
疲れやすい時期でもあります。

気質にもよりますが、
新しい環境に馴染むには、
相当の努力が
必要になってきます。

クラスメートが変われば、
人間関係が変わります。
それまでとは
また違う関係性を
築いていかなければならないし、
その中で自分の位置を
見つけていかなければならない。

先生が変わると、
クラスの雰囲気も変わりますし、
先生にどう対応していくのかも、
また一から考えないといけないでしょう。

子どもは、
親が想像する以上に、
疲れています。

そして、
親が想像する以上に、
頑張っています。

新しい環境でやっていくこと。
それ自体が、
実は当たり前のことではなく、
本人が頑張って、
対応しているからこそ。

なので、
この一ヶ月を
やりきったことに対して、
「よく頑張ったね」
と伝えてあげたいな。

と思います。

新しい環境の中に
毎日入っていくだけでも、
すごいのに、
さらに
毎日宿題をして、
毎日学校に通っている。

それって、
十分すごいことなんだと
思いますよ。

それを、
「よく頑張っているね」

認めてあげることは
できていますか?

親の目線から見たら、
できて当たり前のことばかり
かもしれませんが、
子どもたちにとっては、
そんなに簡単なことでは
ないと思うのです。

まずは、
当たり前にできているように
見えることを
認めてみる、
「よく頑張っているね」
と声をかけてみる。

そして次は、
子どもの存在そのものを、
「いてくれて嬉しいよ」
と伝えていく。

あなたがどんなあなたであっても、
あなたは私にとって
大切な存在で、
いつもここにいてくれるだけで
十分嬉しい。
あなたはここにいていいんだよ。

という、
無条件の存在承認が
子どもに対して
できていますか?

私の言うことをきかないから、
この子は嫌だ。
何をさせても
できなかったりしなかったりする
この子が嫌だ。

という感覚があると、
存在の承認が、
条件つきになっていきます。

○○をしないと、
認めてあげられない。

それは、
○○をしないから
信じられない。
につながっていきます。

私自身、
そんな風に思っていた時期も
ありました。

子どもが私の望んでいるように
行動しないことを理由に、
子ども自身の存在をも
否定する。

そうすると、
子育てがどんどんしんどくなっていきます。

そんな時、
私は自分の記憶を
少しずつ、
子どもたちが生まれた頃に
戻していきました。

あるいは、
病気や大きな怪我をした時に、
戻ってみました。

最初の頃や、
病気や怪我の時は、
「生きているだけでいい」
「元気なだけでいい」
と思っていた自分がいるはず。

それが本来の
存在承認であり、
子どもを認める原点だと
私は思っています。

子育てをしていく中で、
子どもが
「生きていること」
「元気なこと」
は、
当たり前になりすぎていて、
ついうっかり忘れていること。

けれども、
本当はそれで十分なはず。

いつの間に、
求めるものが
変わっていったのでしょう?

いつの間に、
当たり前を忘れて、
もっともっとと
求めてしまうように
なったのでしょう?

今子どもに求めていることは、
本当にしなければならないことですか?

それを子どもがしたからといって、
それで本当に
子どもは幸せになれるのでしょうか?

ひとつクリアすれば、
また次。
それをクリアすれば、
またその次。

本来、
生きていてくれて、
元気でいてくれて
それだけで十分。
ということを忘れ、
いつまでも要求を出し続け、
子どもを認めることを
してあげられない状態。

そんな状態で
子どもがやる気を持って
毎日を生きていけるとは
思いませんし、
そんな状態が
子どもにとって幸せとは
思えません。

子ども自身にとって
大切なことは、
何なのか。

じっくりと考えてみても
いいかもしれませんね。

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