私も発達障害があると思うんです

こんにちは!
ハンサムおかん☆きよみんです。

発達障害のあるお子さんを
育てているお母さんから
子育てについて
お悩みを聞いていると、
よく言われることがあります。

「私も発達障害ではないかと思うんです。」
と。

ここから先は、
あくまでも
私個人の意見や想いです。

 

確かに発達障害には、
遺伝的要素があるように
書かれているものを
読んだこともあります。

私自身、
長男が診断を受けてすぐ、
いろんな本を読んだ時、
いろんな特性が
たくさん自分に当てはまると
気づきましたし。

そういえば小さい頃、
周りのみんなは
当たり前にできることが
自分には当たり前ではなく、
苦労していたとき、
「なぜ自分はこんなに大変なのだろう」
と思ったことも
ありました。

ただ、
だからと言って、
自分も検査を受けることは
しませんでしたし、
そういう自分がそのまま
私なんだと思っています。

もし受けたとして、
そうだったとして、
何が変わるのでしょうか?

おそらく、
目の前にある現実は、
何も変わらないでしょう。

それを言ったからといって、
家事や子育てや仕事が
思うようにうまくできないことを、
人から許してもらえる。
とは思わないほうがいい。

そもそも、
他人から許してもらう。
という考えそのものが、
違うのではないかと
思っています。

できないこと、
苦手なことは、事実。
でもそれは、
発達障害でなくても、
誰にでもあること。

程度は少し
大きいかもしれないけれど、
気づく前だってその中で、
しんどさを抱えつつも
やってきたはず。

できないこと、
うまくいかないことに
囚われていると、
つい言い訳に
使いたくなるけれど、
そんな部分も含めて、
周りの人はいままで自分を
受け入れてきてくれてるのだろうし、
嫌だと言う人は、
勝手に離れていっただろうし、
万人とうまくいくことなんて
不可能だから、
それはそれで
いいんだと思っています。

それよりも、
しんどさや辛さを抱えつつも、
ここまでやってきたこと。
学校や会社やを
なんとかくぐり抜け、
大変さを抱えつつも、
家庭を持ち、子どもを育て、
ここまでやってきた。

そのことを
しっかり認めていたいと
思っています。

完璧なんてない。
人はみんな
どこか不完全で、
出来なさを抱えて
生きているものだし、
それを受け止めるからこそ、
誰かの出来なさを、
受け止めることができる。
そしてそれは、
子育てにとっては
とても大切なこと。

人と同じようにできない
しんどさや不安、
悩みや苦しさを
自分の中にもあると知り、
それを含めての自分を認めるからこそ、
同じように
様々な想いを抱えている子どもを
認めることができる。

「私も発達障害があると思うんです。」

そういわれて、
何と答えればいいのでしょう。

「はい、そうですね」
とも思わないし、
「いいえ、違いますよ」
と否定もしたくない。
それは、ある。と言う意味を否定するのではなく、
その人に否定を返したくない。
と言う意味で。

なのでいつも私は、
「あぁそう思っているのですね」
と答えます。

「私も発達障害かもしれない」
と感じていることについては、
そのまま受け止めます。
私はそれに対して、
判断も下さないし、
批判もしないし、
ただ「この人はそう思っているんだ」
という事実のみを
受け止めています。

「発達障害かそうでないか」
という単純なくくりだけで
人を判断したくないし、
自分を決めつけたくもない。

すべてはその人らしさで、
自分をそのままの姿で
受け入れている人が
私は好きだし、
そうではなくもがいている人も、
そのままで私は好き。

発達障害かどうかが、
何の基準にもならず、
その言葉を使う意味すら
必要でない世の中になっていってほしい。
人は多様性があってこそ面白いし、
素晴らしいものが
生み出されていく。ということが
もっと当たり前になっていってほしい。

そう願いつつ、
診断された子を
一人の大人として
世の中に送り出すために
育てています。

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