カチューシャ!

予備校から帰宅する
車の中で、
熱心に音楽を聴いている長男。

イヤホンをしているので、
私には
どんな曲がかかっているのか
わかりません。

おしゃべりをする日もありますが、
こうやって、
音楽を
一人聴いている日もある。

それでも、
心はいつも
長男に向けて
オープンにしながら
ハンドルを握っています(安全運転でね)。

静かに鼻歌が聞こえ、
歌っているのね。と思ったら
まさかの
「カチューシャ!」
と叫ぶ長男(驚)。

あーびっくりした。

なんとなくね、
聞いたことある音楽だなぁ。って
鼻歌を聞きつつ
思っていたのですが。

それは昔々
音楽の授業とかで
習った曲。

どうやって見つけてきたのか、
そのロシア語バージョンを
繰り返し聴いている長男(なぜだ?)

ロシア語で歌われているので、
全く一緒にハモれずに、
鼻歌だけで
ついていってるのですが、
「カチューシャ」の部分だけわかるので、
そこだけ全力で叫ぶ(謎)。

駅から自宅まで、
一体何度
「カチューシャ!」
の雄たけびを聞いたことか・・・(もういい)。

歌っている人によって
「カテュ―シャ」に
聴こえる曲もあるらしいって、
一体どんだけバージョンあるのさ。

おかげでそれから
おかんの脳内で
カチューシャが
エンドレスでリピート中(誰か止めて)。

もうすぐ誰かが
コサックダンス踊ってる画が
脳に浮かぶぞ(もっと嫌)。

子育て。って構えていたら、
いちいち反応しないかもしれないけれど、
この人は、
何を考え、
生きているんだろう?
という興味がメインで、
子どもたちを眺めています。

だから、
熱い熱い
箱根駅伝の解説も楽しめるし(たまにうざい)、
「カチューシャ」の連呼も笑って聞ける。

この子たちが
どうなってほしいか。
なんてことは、
一切考えずに、
ただただ一緒にいる時間を楽しみ、
一人の人として
時にはおしゃべりし、
時には議論を戦わせ、
同じものを見て
笑い、
時にはあーだこーだと
一緒に熱くなる。

親自身がお手本になる行動を
するように意識していれば、
そんなにガミガミ言わなくても、
最低限のマナーは
身についていくと
思っています(たぶんね)。

外に出ても、
挨拶できるし、
自分で人に話しかけて、
問題を解決できる力が
彼らにはあります
(逆におかんのほうが苦手なくらいよ)。

勉強しなさいとは
言わないけれど、
政治や経済や、
数学や国語や英語、
日常の中に
学びの種はいっぱいあって、
そんなことを一緒に
おしゃべりしているうちに、
彼らは彼らなりに
興味を持つようになり、
私が知らないことは
一生懸命教えてくれるように
なりました(絶対おかんより頭がいい)。

おかんがおかんの夢を追いかけて、
毎日全力で生きていたら、
子どもたちは
子どもたちの夢を見つけて
それぞれが
自分の進みたい方向に
進もうとしているようです。

自分の夢に
口出しされたら絶対嫌なので、
子どもの夢には
口出ししません。

彼らは、進む道が見えてきたら、
そのために必要なことは、
自分で考えてするようになりました。

命に関わることと、
親が責任を負うべき部分は
口出ししますし、
譲れないことは、
私も全力で通しますが、
そうでもないことは、
完全に本人たちに任せて
彼らがどうやって
進んでいくのか
見守れるようになりました。

だいたい
おかんが口出しすることなんて、
今ではほとんどありません。

せいぜい
「弁当出して」

「脱いだ服はかごに入れて」
を1日1回ずつ
くらいでしょうか。

言ってもしないときは
放置ですしね。

次男は今、
放置弁当の記録更新に
チャレンジしているらしく、
もはやいつのかさえ
忘れるくらい前の弁当箱が、
リビングの
エアコンの風が
ガンガン当たるところに
置かれています(何の目的?)

今日から学年末テストで、
終わったらもう授業もなく、
そのまま春休みに突入なので、
新学期まで放置するつもりなのかも
しれません(絶対嫌)。

ちょっと脱線しましたが、
この先彼らは
いずれ私のいないところで
生きていくことになります。

今はそれを
練習している時期。

失敗してもいいので、
とにかく自分で経験し、
学んでおかないと、
大人になって
逆に苦労するような気がして、
すべては基本
子ども任せ。

自分の行動によって
出てきた結果は
自分で引き受ける。

それさえわかれば、
もう言うこともなし。

親子というより、
3人の共同生活に近い状態に
なっております。

にしても、
カチューシャの
脳内リピートは
いつまで続くのだろう。。。。

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