おかんを、おかんにしてくれた人のことを想う

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今日、長男が
20歳の誕生日を迎えました。

子育ても、
大きな区切りですね。

けれど、
初めて出会った日から、
もう20年も経ってしまったのか。

その速さに改めて
驚きます。

赤ちゃんの時から敏感で、
なかなか寝てくれない子でした。

ほぼ1時間おきに
起こされていましたし、
しっかり寝てくれる状態を探しているうちに、
ラッコみたいに
私のお腹の上にうつぶせで乗せておくのが
一番いいと発見したりも
しました。

夏は暑くて
ムリでしたけどね。

昼間は、寝ている姿よりも、
活発に動き回っている姿のほうしか
思い出せません。

次男が生まれるまでの
3年間は、
大変なこともあったけど、
それでも
私と長男だけの
大切な時間でした。

次男が生まれてからは、
いろんな場面で
我慢させてしまうことも
多くなり、
子どもに怒る。
ということが出始めたのも、
この頃。

そう思うと、
子どもに怒るということは、
親の余裕がなくなった。
ということなのですよね。

昼間の活発さは
さらに増し、
感受性が強く、
いろんな刺激を受けやすいためか、
夜は夜泣きが激しく、
可愛いというより、
だんだん私の手に負えないというか、
大変さの方が
目立つようになって
いきました。

転んでちょっと擦りむいただけで、
泣きわめいて大騒ぎ。
少しずつですが、
「この子はちょっと違うのかな」
という気持ちが出てきたのも
この頃からでした。

今思うと彼は、
ものすごく敏感な子どもでした。

保育園ではそれでも、
特に問題もなく過ごし、
「子どもらしい子ども」
と言われながら、
やがて小学校に入学します。

小学生になってからは、
困難が増えてきました。

私がそれまで
小学生になったら
誰でもできるようになる。
と思っていたことが、
全然できなくて、
持たせた鉛筆はなくなるし、
持っていくものは
忘れるか、
持っていってもランドセルの中で
迷子になって
出せない。
学校でもらったものも、
ランドセルの中で
行方不明になるのか、
家には届かない。

怒る。
というよりは、
私がキレる。
という状態が
頻繁に起こるようになりました。

「発達障害」
ということは全く頭にはなく、
ただただ育てにくい子。
みんなができることが
出来ない子。
という認識でした。

2年生からは
懇談のたびに先生に
検査を進められ、
聞き流していたのですが、
結局4年生で受診、
「ADHD」という診断を
受けました。

彼の20年のうち、
前半の10年で、
彼の記憶に残っているのは、
しんどいことばかり
かもしれないな。
と思ったりもします。

「ADHD」という診断を受けて
しばらくして
私はコーチングと出会いました。

できないことには
徹底的に怒り、
無理に彼が苦手なことを
押し付けて、させていた子育てから、
そのままの彼を認め、
肯定し、
彼の行動からではなく、
私の心で判断して
信じて見守る子育てを
始めました。

最初は、
信じたくても現実を見ては
揺れ動き、
信じることに
葛藤ばかりしていましたが、
たくさんの学びと気づきから、
ようやく自分の捉え方を
変えていくことができ、
自分を整え、
しっかりと彼に寄り添うことが
できるようになり、
そこから子育てや
親子関係は
どんどん変わっていきました。

彼を枠にはめ、
「普通の人」に育てるための
子育てから、
彼自身の特性を含めた
そのままの彼が、
自分の力で
自分で考えて行動し、
前に進んでいくことを
信じて応援する子育て。

それができるように
なればなるほど
ADHDの特性だった
落ち着きのなさは、
年齢とともに。
もあるでしょうけれど、
どんどん減っていき、
親子の信頼関係は
どんどん強くなっていきました。

気づくと、
「ADHDです」
と言っても
わかってもらえないくらいにまで
成長し、
感情も自分の力で
ちゃんとコントロールできるように
なりました。

まだまだ
日常生活で
困難な部分はありますが、
それでも自分で
1人暮らしができるまでに
成長しました。

こんな日を、
少し離れたところから
お祝いすることになるとは
思いもしませんでしたが、
心から
この20年間をかけて、
私をおかんにしてくれた
自慢の息子に、
生まれてきてくれたこと、
今元気に生きてくれていること、
私をおかんに選んでくれたことを
感謝しています。

長男がいなければ、
私はこんなにたくさんのことを
学ばなかったし、
大切なことをたくさん
気づかないまま
一生を終えていたかもしれません。

それはそれで、
楽しい人生に
なっていたかもしれませんが、
それでも私は
もう一度選んでも、
長男のいる人生を
選ぶだろうな。
と思います。

今日は朝おきてすぐ、
長男に
「誕生日おめでとう」
とメッセージを送りました。

超早い時間だったから、
まだ彼は
寝ているようですけど、
気づいたときに、
どんな返事が
返ってくるかな。

明日には、
こちらに帰ってきます。

誕生日だからとかではなく、
大阪のイベントに参加するから!
きっとそれがなければ
帰ってなんてこなかったよ。

こんな区切りの
大切な日なんだけど、
(おかんにとってはな)
彼はそれより、
自分の毎日が大事。

それでいいんだ。

そして、
夜遅くに帰宅して一泊して、
昼過ぎにはもう
京都に帰っていきます。

ゆっくりとお祝いする時間も
なさそうなので(苦笑)、
心の中で
盛大にお祝いしておきます。

一年に二度やってくる、
おかんになってからのことを
振り返る日。

もう長男だけでも20回もやってるなんて、
そりゃ私も
年を取るはず・・・
びっくりだわ。

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