子どもたちは失望している

連日テレビや
ネットニュースで流れている、
日大アメフト部のこと。

学生が、
名前も顔も出して、
1人で記者会見をするという、
異様な状況に、
そして、
配慮を求められているにもかかわらず、
連日その顔が流れ続けていることに、
同じ年の子どもを持つ親として、
毎回いろんな思いがこみ上げてきて、
彼のご両親は
一体どんな気持ちで
いらっしゃるのだろう。
と考えてしまいます。

確かに、
悪質な反則をしたことは、
悪いことです。

けれど、
彼のおかれている立場からしたら、
それを拒否する。
という選択肢は、
その時はなかったのだろうし、
彼に、ここまで一生懸命やってきて、
そのために大学まできて
取り組んでいたことを
辞めてでも拒否すべきだったと
正義感を振りかざして
言える大人はいなかっただろうし、
そもそも
こんなことを親に相談することも
出来なかったのだろうし、
そして彼は
最初から最後まで
相当苦しんでいただろうし、
そして最終的に、
こういう形をとることを
選択して、
あの日彼は、
大勢の大人の前に
立ったのだろうと思います。

ここまで大きなニュースになること
ではなくても、
子育てをしていたら、
我が子が悪いことをして、
それに対応しなくてはいけない場面って
よく出てきます。

そんな時、
親としてどう子どもと向き合うのか。
今までどう向き合ってきたのか。
考えさせられました。

当然ですが、
子どもがした行動そのものが、
誰かに迷惑をかけていたり、
ルールを破っていたり、
してはいけないことなのであれば、
その行動については、
悪いことだった。
してはいけないことだった。
と、
親として判断はするでしょうし、
本人にも
そう伝えなくてはいけません。

けれどそれは、
感情とは切りななされた
理性の部分で
行われるべきもので、
行動について判断したとしても、
それによって
子ども自身の人格そのものを
否定するようなことがあっては
ならないのです。

その上で、
なぜ本人がそんな行動に
至ったのか、
しっかりと
本人の言い分には
耳を傾ける必要があります。

その際には、
批判や先入観での判断をせず、
ただ「聴く」ことが
大切になってきます。

そうではないと、
子ども自身が安心して
すべてを話すことが
出来ないからです。

また、
そうできるためには、
日頃から子どもの言葉を
しっかりと意識して聴き、
親子間に信頼関係を
作っておくことが
必要です。

そうして
本人の話をすべて聴いたうえで、
「あなたのしたことは、
いけないことだった」
と事実は認め、
単純に
「謝りなさい」
ではなく、
これから自分がどうするか
「考えなさい」
と言える親になりたいと
私は思っています。

「謝れ」
ということは簡単です。

けれど、
それでいつも終わりにしていると、
「謝ればいい」
という感覚にすら
なってしまう。
それは、とても怖いことです。

本当に必要なのは、
単なる謝罪ではなく、
本人がなぜそれが悪いのかを考え、
自分のした行動を認め、
自分でこれからどうしていけばいいのか
を親ではなく
子ども自身が考えること。

その結果として
導き出される行動の一つが
「謝る」ということなのであれば、
親が背中を押して、
頭を押さえて
謝らせるのではなく、
本人が謝る姿を
しっかりと親が見守ること。

親に怒られたから
謝るのではなく、
自分がこの状況に対して
何をすべきかを考えた結果、
謝る。

同じ謝るでも、
その背景や
本人の思いは全く異なります。

そして
どちらの方が
本人のこれからにとって
大切なのかは明らかです。

子どもと一緒にその場に立って、
子どもをリードする形で
親が謝るのが
正しいのかどうか。

子ども自身が、
自分がしたことを
最後まで自分で引き受け、
行動していくことを
見守ることが
親の役割なのではないかと、
今回改めて思い、
そんな親でありたいと
思いました。

今回の件で、
たくさんの子どもたちが、
大人に失望したのではないかと
思っています。

今回の件で、
長男と直接は何も話はしていませんが、
高校時代、
彼の話を聴いていると、
何度も
テレビに出てくる
大人の態度に失望し、
その大人たちが
作り上げてきている
日本という国にすら
失望していたことを
思い出しています。

本来、
子どもたちが
これから生きていくうえで、
モデルになるべき
大人である私たち1人1人が、
どう考え、
どう行動していくか。

恥ずかしい大人にならないように、
しっかりと
自分がどうあるべきか、
子どもたちに
胸を張って生き方を見せられる
大人でありたいと、
勇気を持って
大人の前に立った
20歳の彼の映像が流れるたびに、
心に誓うおかんでした。

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