朝起きられない子

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高校は、
中間テストが終わり、
体育祭目前。

次男も応援団に入り、
練習などで忙しいようで、
朝も早めに登校したり、
放課後も残って練習に参加したり
しています。

もともと朝が弱く、
そこに中学生になって
夜更かしをするようになり、
さらに朝が苦手になった
次男。

中学を卒業するまでは
本当に大変でした。

この時期は、
体の成長もまだ安定していないし、
自律神経系の成長も
不安定なため、
起立性調節障害にもなりやすいと
されています。

次男も、
あまりにも朝起きられず、
そうではないかと
疑ったこともありますが、
休むことはたまにあっても、
遅刻はしなかったので、
そこまでではなかったのでしょうね。

それでも
起こすのは一苦労でした。
なので
おかんは毎朝憂鬱でした。

それが、
高校に入学したころから、
少しずつ、
朝声をかければ起きてくる日が
多くなり、
日によっては、
声をかける頃には
布団の中にいても、
もう起きていたりするので、
私の負担は大きく減りました。

中学生の頃、
明らかに寝不足で、
朝起きられていない日は、
起こしながら腹が立ったりも
しましたし、
それで「休む」と言われると、
なんだかモヤモヤしつつも、
体調不良と学校には連絡して
休ませたり。

そう簡単に休むと言っていいのか。

明らかに寝不足なだけに見えるけれど、
ずる休みの片棒を担いでいいのか。

毎回あれこれと
悩み、考えました。

休めばそれだけ
勉強も遅れますしね。

そこでおかんがしたこと。

それは、
できるだけ
本人が安定して機嫌のいいときに、
しっかりと話をすること。

と言っても、
私の方から
学校の様子などを探る。
とか、
向き合って
「朝起きる問題について」
話し合いをする。
ということではなく、
家の中を、
次男が落ち着いてすごせる場所にし、
ただただ機嫌良く次男のそばにいて、
彼の口から出てくる言葉に
ひたすら耳を傾けるだけ。

こちらから
無理に引き出すのではなく、
子どもが自発的に
口に出す言葉には、
子どもの本当の想いや
姿があります。

それを、
自分の思い込みという
フィルターを通さずに、
まっさらな気持ちで
聴くこと。

しっかりと子どもの様子を観察すること。

話をしてくれて
嬉しいという気持ちで聴くこと。

そうやって、
聴くことを重ねていくと、
次男自身が、
朝起きられないことに
困っていること、
学校に行きたくないわけではなく、
行けないんだということ。
などが
見えてきました。

彼は、
「俺が甘えているんだ」
とも言っていました。

親が起こしてくれる。
ということに対して、
甘えてしまうから、
起きられないんだ。と。

確かにその安心感があって、
目覚ましが鳴っても
すぐまたぎりぎりまで
寝てしまうのかもしれません。

私自身は
そうは思っていなかったけれど、
彼が自分で自分のことを
そう考えているんだな。
ということは、
わかりました。

おかんはおかんで、
子どもが起きないことに、
イライラし、
悩んでいる。

そして
子どももまた、
自分で起きられないことで、
自分を責めて、
悩んでいる。

学校が嫌で、
行けないのなら、
それに合わせた対応があるし、
うまく体調をコントロールできず、
起きられないのなら、
それに合わせた対応があります。

どちらにしても、
本人がわざとしているわけではないのなら、
本人を責めることはできません。

ここで責めると、
それは「朝起きられない」
ということ以上に、
子ども自身の
自己肯定を下げてしまう
可能性があるからです。

学校に遅刻せずに
行けることは
この子にとっては、
当たり前のことではなく、
頑張ってできること。

であれば、
「ほかの子はみんなちゃんと
学校に行けているのに、
なぜあなたは・・・」
ではなく、
「今日は行けたね。」

伝えてあげたい。

それは、
いろんな場面で
使えます。

発達障害の
いろんな特性のある子にとってもそうだし、
そうではない子にとっても、
今本人ができていることを
見る際に伝えることばです。

「なんでみんな出来ているのに、
あなたは○○ができないの?」
ではなく、
「○○ができたね。」
でいい。

できないことを
できるように
求め続けるのではなく、
出来ていることを、
「できているね」
「できたね」
と伝え続けること。

子どもの自己肯定感は、
そこから育っていきます。

そして、
できることが
もっとできるようになると、
出来ないことも含めて
底上げされていきます。

それが成長です。

みんなが当たり前に
出来ていることが、
たくさんできていなかった
長男も、
出来ていることに着目し、
「出来ているね
を伝え、
本人が頑張っていることを
感じたときは、
「頑張っているね」
とその努力を認める。

その繰り返しで
どんどん落ち着き、
自分も周りの様子も
見えるようになり、
できることが増えていきました。

出来ないことを
何とか人並みにさせようとして
私が頑張っていたら、
今の長男はなく、
自分に自信がなく、
感情もうまくコントロールできず、
自己否定ばかりの大人に
なっていたかもしれません。

できないことは、
悪いことではなく、
ただ「できない」という事実があるだけ。

なので、
「責める」という対応はなく、
できるように工夫を
子ども自身に考えさせるとともに、
できたことを
どんどん認めていくことが
大切です。

朝7時10分。
支度を終えた次男が
「行ってきます」
と玄関から声をかけてくれました。
その時何をしていても、
「行ってきます」が
きこえてきたら、
玄関に行って見送ると決めているので、
このメルマガを書く手を止めて、
玄関へ。

「今日は早いね」
「うん、体育祭の応援団の練習やし」
「夜はバイト?」
「今日は入れてないけど、
放課後も練習やから7時ごろかな」
「体育祭、1日だよね?
見に行ってもいい?」
「普通に嫌」

嫌だって(号泣)。
それも、
「普通に嫌」なんて言い方(キー――――ッ)

わかってたけど。
だからわざわざ
予定を空けてもいないし。
ちょっと聞いてみただけさ。
逆に「来て」って言われる方が、
おかんは困る。

小学校の高学年で、
授業参観に来ることを拒否され、
中学は体育祭と文化祭のみ。
そして高校は、
すべて拒否。

親の目がないところで、
心から楽しみたいんだろうなぁ。

というわけで、
おかんは
次男が同じ空の下で、
今頃頑張っているんだろうな。
と思いながら
自分の仕事を頑張るのです。

見に行かなくても、
彼が楽しんでくれてたら、
それでいい。

長男も次男も、そしておかんも、
それぞれが、
それぞれの場所で、
自分の精一杯で
過ごすこと。

それを感じることが
今のおかんの満足。

気分よく、メルマガを書き終えて、
ふと目をあげると、
キッチンカウンターの上には、
今日の力作(ウソ)弁当が!!!!

一瞬食べようかとも
思ったのですが、
本人に連絡すると、
「仕事に行くついでに持ってきて」
とか。

いや、逆方向よ。

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