心配と不安と反対(1)

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子どものことが心配。

はい、おかんも心配です。
もちろん。

子どものことを
全く心配しないなんてこと、
不可能だと思っています。

でもね、
おかんは、
心配はしていますが、
子どものやることに
反対したりはしていません。

いくら心配だからといって。

子どものやることに、
干渉したりもしていません。

いくら心配だからといって。

心配するというのは、
自分自身の心の中のことであり、
それを理由に
相手に干渉することは
また別物だと思うのです。

おかんは、
子どもたちがすることを
信じて見守りつつ、
心配は、
心の中に抱えています。

心配とは、
不安を感じることでもありますが、
そこに心を配る。
ってことでも
ありますからね。

どちらかというと、
不安を感じる方ではなく、
子どもたちのこれからに、
心を配るほうの心配を
いつも抱えたままで、
子どもたちを見守れる大人になることを
目指しています。

そのためには、
自分の人生と、
子どもの人生を
きちんと分ける必要が
あります。

また、
一体何を自分は心配しているのか、
それはなぜなのか?
本当に心配すべきことなのか。

きちんと
自分と向きあうことが
大切です。

心配は、
あっていけないものではないけれど、
そこにだけ
焦点をあてて
暴走していかないほうが
いいもの。

行動を止めると、
心は暇になり、
心配にばかり
注目していきます。

心配で
何も手に着かない。
っていいますけど、
行動しないから、
不安が消えないのです。

逆だってことですね。

だから、
心配を
行動しない言い訳には
しないこと。

おかんは、
心がざわつき、
心配が大きくなればなるほど、
行動します。

ま、
気質的に
行動優位だからも
あるかもしれませんけどね。

でも、
「気がまぎれる」
ってありますよね。

日常の家事、
仕事、
誰かのために働くこと。

こういうことで
ある程度忙しくしていた方が、
余計なことを考えずに
済むのです。

だいたい心配は、
考えてもどうしようもないこと
ばかりですし、
一部の心配は、
それに対処する方法を
考えておけば済むことですからね。

心配事を考えるということは、
今目の前のことに
集中していない。
ってことでもあります。

子どもの未来を
心配するあまり、
今の子どもとの時間を
失ってしまわないように。

子どもとの「今」は、
もう二度とやってきません。

将来振り返って、
後悔するくらいなら、
未来の心配は横においといて、
今を楽しみましょ。

そして、
心配を抱えながらも、
子どもを信じて見守れる大人を
目指していきましょ。

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