おかんが子育てコーチになるまで

初めてブログにお越しいただく方も増えてきたので、
あらためてこれまでのことを
書いています。

子どもの頃
3人きょうだいの長女だった私は
きょうだいの中でも
一番両親に
怒られていた記憶があります。

言うことを聞かなかったり、
ものを失くしたり、
片付けができなかったり・・・

自分では一生懸命
やってるつもりでも、
うまくいかないことだらけでした。

いろんなことで
たくさん怒られた記憶。
自分のことは棚上げにして、

「私はガミガミ怒る親にはならない」
「子どもの話を否定せずちゃんと聞く親になる」

という固い決意を
していたことを覚えています。

今思うと、
なんとか頑張って
「いい子」でいようとして、
でもうまくいかなくて、
自己否定ばっかりしていましたね。

でも、外から見られる自分は、
どちらかというと
まじめで優等生的な部分。

自分の中では
常にギャップを抱えて生きていたんだと
思います。

そのギャップを抱えたままで、
少しずつ自分なりに成長、
怒られることも
だんだん少なくなり、
やがて大学に進学、
就職して結婚し、
長男を出産します。

長男の出産により、
理想の親になるチャンスが
やってきました。

当時は、
その気持ちさえあれば、
子どもはちゃんと育てられると
思っていましたね~(遠い目)

まさかそれから20年、
想像もしていない、
怒涛の子育て人生を歩み、
就職した公務員ではなく、
子育てコーチとして、
生きているなんて、
想像もしていませんでした。

最初の1年は、
幸せで
あっという間に過ぎていきました。

おそらく
自分なりに理想の親が
出来ていたんだと思います。

長男が満1歳になり、
保育園に預けて
職場復帰しました。

長男は、
他の子に比べて
少し感受性が強い子どもでしたが、
それでも楽しい子育ては
続いていました。

長男が3歳のときに、
次男を出産しました。

子ども2人の子育ては、
手間が倍どころか、
それ以上。
こんなに大変なんて、
思ってもみませんでした。

当時夫は仕事が忙しく、
子育てにも家事にもノータッチ。
今でいう、ワンオペ育児ですね。
それでも、一定のレベルの家事を
こなすことを求められていたので、
私はいつも、
いっぱいいっぱいでした。

そして気づくと、
私は母親そっくりの口調で、
長男を叱っていたのでした。

そのことに気づいた私は
愕然としました。

絶対になるまい。
と思っていたのに・・・・

それまであった自信が、
あっという間になくなっていきました。

それから子育て本を何冊も買ってきて、
読みましたが、
何も解決できないまま。

子どもを怒鳴る毎日は、続きます。

そして長男が年長さんのとき、
夫が単身赴任で東京へ行くことになり、
親子3人の生活が
始まりました。

小学校に入学した長男は、
私の子どものころそっくり。
いやそれ以上(苦笑)

片付けも、
持ち物の管理も、
全くできない状態。

私の怒鳴り声は、
どんどんエスカレートしていきました。

あまりの大声に、
となりのおじいちゃんが
様子を見に来たことも
あったほど。

いつ通報されるかと
びくびくしながら、
それでも子どもを怒鳴ることが
やめられませんでした。

長男が小学2年生のとき、
担任の先生から
「発達障害の検査を受けられてはどうですか?」
と何度か勧められましたが、
決断できず、
ADHDに関する本を
読み漁りました。

わかったのは、
私もADHDなのではないか。
ということくらい。

長男小学4年生の時には、
担任の先生に、
「お子さんを毎日何度も
怒らないといけなくて、
他の子どもたちが
お子さんをバカにして
いじめるようなことがないかと
心配です」

と言われました。

「そうならないようにするのが
先生なんじゃないの?」
とその時は思いましたが、
自分も同じように、
毎日何度も怒っているので、
反論することはできませんでした。

このころの長男は、
家でも学校でも
怒られてばかりの毎日。

本当に辛かっただろうと思います。

発達障害の検査をうけるのかどうするのか。

悩み続け、
そのうち
もう悩むことすら嫌になり、
発作的に病院を探して予約し、
長男を連れて検査に行きました。

検査の結果、
私がそこで
先生から言われた言葉は・・・

この続きは、
次回また書きますね。

200808111420000

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