おかんが子育てコーチになるまで(その6)

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前回の続きです。
2回くらいで
終わる予定が
長々続いてごめんなさい(汗)。

あれから10年が経ち、
当時小学5年生から
6年生になるところだった長男は、
大学の2年生になりました。

小学校卒業までは、
明日の用意も
手伝いが必要なほどだったのに、
中学2年くらいから
落ち着きが出てきて、
部活にも勉強にも
取りくめるように
なり、
自分のことは自分で、
時間も遅れないいように
行動することが
できるようになりました。

忘れ物や探し物は、
今だにたくさんやらかしますが、
失くしものは、
激減しました。

小学生時代、
毎日空っぽだった、
筆箱は、
いつもびっしり入ったままに
なりましたし(笑)。

小学校から
ADHDだということは、
申し送ってもらい、
中1のときは、
注意深く様子を見守って
いただきました。

もう一つの課題だった、
感情コントロールも、
最初はケンカ直前まで
行くことも多く、
ひやひやしましたが、
少しずつおさまり、
たくさんの友達や先輩
仲間にも囲まれ、
楽しく中学校を無事卒業。

もっと部活に打ち込みたいと、
自ら決めた目標校に
無事合格し、
そこでも
たくさんの人のつながりを作り、
何度、
「この学校でよかった」
を聴いたことか。

最後まで部活に打ち込みすぎて、
時間が足りず、
1年浪人しましたが、
翌年大学にも合格。

なんと、
入学と同時に
家を出て、
京都で友人と
家をシェアしながら
暮らしています。

高校くらいからは、
ADHDと言わなければ、
わからないほどには
なりました。

でもやっぱり、
みんなとは違う自分も
感じていたようです。

高校時代に、
部活で追い込みすぎて、
自律神経の調子が崩れ、
大学受験の頃からは、
体調を崩しがちになり、
受験時には
ちょっとした
パニック障害のような
状態にもなりました。

受験会場に向かう電車に
乗っていることができず、
途中下車してしまったことも
ありました。

コーチングを学び、
接し方を変えていったことで、
うまくいったことも
たくさんありますが、
うまくいかなかったことも、
もちろんたくさんあります。

でも、
今振り返って、
どれだけ考えても、
コーチングを学び、
実践してきて、
よかったとしか思えません。

おかんは
長男の特性の部分、
みんなとは違う、
その違いも含めて
まるごと長男を
受け止められるようになり、
彼が考え行動することを、
全力で応援できるおかんに
なれました。

コーチングを学んで、
子どもをいい方向に変えられたのではなく、
私自身が
子どもとともに成長し、
本当の意味で、
ハンサムなおかんになれて、
息子もそう認めてくれるように
なれたこと。

あなたの息子でよかった。

長男と次男、
2人の息子から
言われるおかんになれたことが、
一番嬉しいことであり、
それまでのしんどさが
報われたことでした。

そんな
失敗も、
成功も、
ありとあらゆる経験をして、
学んできたこと、
気づいてきたこと、
それをすべてお伝えしているのが、
ハンサムおかんの
子育てコーチング講座です。

我が子が発達障害だと
診断されたからわかる、
親の気持ち、
不安さ、孤独感、
焦り。

次男の子育てでは、
登校拒否になるかもしれない不安と
たびたび戦いました。

夜更かしして、
朝起きられず、
学校に行けない日もありました。

たくさんのパターンの
反抗期も
しっかり経験し、
悔しい思いも、
悲しい思いも、
嬉しい思いも、
全部を通り抜けてきたからこそ、
伝えられるもの、
受け止められるものがあります。

診断された長男と、
検査も受けていないけれど、
これまた個性的な次男。

まもなく子育ての
メイン部分は
終わりますが、
自分の子育てが、
これでよかったと、
心から思えるように
なりました。

そして、
そう思えるお母さんに
なるためのサポートを
これからも、
全力でしていきます。

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