「面倒くさい」はアリなのだ。だから自分を〇〇できるのだ。

先日の記事で、
「子どもに対して
腹を立てているとき、
お互いが
面倒くさいの
押し付け合いをしてた。」
って書きました。

これには
共感や気づきの
メッセージを
いただいたりも
していたんですけど、
ぶっちゃけ子育てって
面倒くさいことの
オンパレード。
ではありませんか?

さっさとしてくれれば
いいことが
なかなか進まず、
手がかかる、
時間がかかる、
巻き込まれる。

学校にいけば、
プリントだったり、
宿題だったり、
学校生活のフォローに
日々結構な時間を
取られてしまう。

習い事に行けば、
送り迎えや
先生とのやり取り、
場合によっては、
ここでも宿題のフォロー。

朝から晩まで、
あれをさせてこれをさせて、
時にはゴキゲン取って、
なだめてすかして、
自分の時間なんて、
いつまでたっても
やってこない。

もう本当に
面倒くさい。

なのに、
「面倒くさいよ!」
って大声で
言いづらいものが
あったりしません?

周りのお母さんたちは、
そんな風に見えず、
ちゃんとしていて、
こんなことで
「面倒くさい」って
感じる自分って・・・。

みたいなこと、
感じていませんか?

子どものために
なるのはわかっていても、
面倒くさい。

家族が喜ぶと
わかっていても、
面倒くさい。

誰かのために
なると思うんだけど、
面倒くさい。

面倒くさい。と
感じる自分は
なんてひどい人間なんだろう。

なーんて。

おかんはそれ、
アリだと考えています。

だって、

本当に、
素直に、
面倒くさいんだもん。

そう感じることは、
事実なので、
そういう感情に
蓋をしてはいけないのです。

あぁ、私は今、
超絶面倒くさいと感じている。


認めてしまうこと。
ここで
「面倒くさいと感じる自分は、
ひどい人間だ」
って思っちゃうことは、
自己否定につながってしまうのです。

で、
大事なのはここから。

面倒くさいと感じる自分を
ちゃんと認めて
「そう感じてもいいよ」
にするんだけれど、
それを相手には言わない。

言っちゃうと、
押し付け合いに
なりますからね。

そっちが「面倒くさい」
って言うなら、
こっちも「面倒くさい」
って言ってやる。

ってきますからね。

だから、
心の中で、
「あ~面倒くさい。
習い事なんて、
辞めてくれてもいいのに」
とか思ってもいいわけですよ。

そこはどう感じようと、
それが自分の事実であり、
それはそれでいいんです。

でも言わない。

ここで、
そう感じる自分を責めると、
自己否定になると
言いましたよね。

それを、
「面倒くさいと感じながらも、
あえて言わずにやった自分」
を認めてあげてください。

「私、頑張ったよね~」
でいいんです。

これが、
自己肯定の第一歩です。

それでいいんです。

子育てだけではなく、
人生も
面倒くさいことの
オンパレード。

でもそれを、
面倒くさいと感じる自分を
責めて生きるのではなく、
面倒くさいと感じつつも、
それをやっていく自分を
認めていく。

「私、頑張ってるよね」
と実感していく。

結果なんて、
どうでもいいです。

まずは、
取りくんだこと、
その姿勢を認めましょ。

子育てや人生の充実感なんて、
その中にしか
ありませんから。

面倒くさくて、
こっそり手を抜くのも、
別に構わない。

でも、
手を抜くと決めたら、
罪悪感ではなく、
堂々と手を抜きましょ。

自分で決めて、
自分で動く。

これも、
自己肯定のための
大事なステップですからね。

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