おかんと息子たち

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息子たちにとって
おかんはどういう存在なのか。

たまに考えます。

かれらが小さい時は、
おかんの存在って、
絶対だったと
思うのです。

おかんにできないことはないし、
おかんはいつも元気で
働いている人。

そして、
いつもそばに
いてくれる人。

でも、
コーチングに出会う直前のおかんは、
ただただ怖い人。

できないことがあると、
すぐに怒る人。

彼らにとっては、
あんまりいい存在では
なかったのだと
今振り返って
思います。

もしあのままだったら、、
そのうちおかんが年を取り、
できないことが増えてきて、
ただの手のかかる老人になり、
お荷物扱いされてたかもしれないな。
って思います。

今のおかんは、
彼らにとって
どんな存在なのか。

本当のところは
わからないけれど、
自分のやりたいことに
向かって生きる人で
ありたいと思っています。

偉そうにもしないけれど、
卑屈にもならないし、
ありのままの私として、
胸を張って
彼らの前にいたい。

できないことが
いっぱいあっても、
たくさん失敗しても、
罵倒されるのではなく、
愛のあるイジリをもらえるような、
愛すべき存在でありたい。

常々そう願い、
そうなるような関係性を
息子たちと築いていこうと
しています。

そのために必要なこと。

それは、
自分が自分であること、
そして、
その自分を
自分が認め、
大切にし、
愛しておくこと。

誰かの真似ではなく、
私自身として
まず自分が
精神的に大人であり、
自分で自分を肯定できる人であること。

そして、
彼らをひとりの人として
尊重し、
認め、
信じて見守っていくことで、
彼らから信頼を得て、
いい関係性を
築いていくこと。

それができたら、
どんなおかんであっても、
彼らはそのまま受け止め、
愛してくれるだろうと
思っています。

私が彼らを認めるから、
彼らも私を認めてくれる。

私が彼らを信じるから、
彼らも私を信じてくれる。

私が彼らを大切にするから、
彼らも私を大切にする。

私が彼らに笑顔を向けるから、
彼らも私に笑顔を向ける。

私が彼らに興味を持って
その話を聴くから、
彼らも私に興味を持って
私の話を聴いてくれる。

私が彼らの夢をそのままで応援するから、
彼らも私の夢をそのままで応援してくれる。

私が彼らに
今できることを精一杯するから、
彼らも私に、
今できることを精一杯してくれる。

おかんが彼らの存在そのもの、
今生きて、いてくれることに
感謝しているから、
彼らもおかんが
今ここにいることに
感謝してくれている。

親子関係も、
それ以外の人間関係も、
すべてのことは、
お互い様のキャッチボール。

自分がきちんと投げたら、
相手だって
ちゃんと投げ返してくれるんだよ。

そう子どもに伝えたいから、
まずは自分が
そういう大人でありたい。

家庭という土台が
そういう場所であれば、
万が一何かに傷ついても、
戻ってやり直すことは
できると信じています。

子どもが人を信じ、
たくさんの人に囲まれ、
全力で彼らの人生を
楽しく穏やかに、
力強く生きていけるように。

おかんはそんな人に、
息子たちを育てていきたいと
思っています。

今日はお彼岸。

自分が今ここに
いることができるのも、
息子たちに会うことができたのも、
ここまでつながってきた
命のおかげ。

その感謝の気持ちで
ご先祖様に手を合わせてきます。

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