洗い物をしながら考えてみた

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今週の
水曜日から
期末テストが始まる次男。

一応彼なりに、
勉強もスタートさせた様子です。

前回
大学合格に浮かれて、
欠点多めだったので、
今回は
しっかりしようと
思っているらしいです。

夕方おかんが
仕事から帰ってくると、
次男の部屋には
友達が来ていて、
夜7時過ぎくらいになると、
友達と自分の分の
晩ごはんをつくりに
部屋から出てくる次男。

作るのは
いいんですけどね。

使った後の
キッチンを片づけるところまでは、
まだ至っておりません(苦笑)。

おかげでおかんは、
晩ごはんをつくる手間は
大幅に減った代わりに、
片づけに追われています。

それはもう
ここんとこ毎日で、
土日なんかは、
お昼も作るから、
帰宅して片づけてから、
自分の夕食。

そしてまた、
片づけ。

顔を見るたびには、
言ってるんですけどね。

片付けまでやって、
料理なんだから。
って。

でもおかんだって、
片付けが苦手で、
いつも後回しにしていて、
ちゃんとセットで
できるようになったと
自分で思えるようになったのは
ごく最近なので、
仕方ないかもしれません。

来年一人暮らしを始めたら、
その大変さは
わかるだろうから、
あんまりバトルはせずに、
今は彼のしたいように
させてます。

そんな中、
いつも気になっていることが
ありました。

それは毎回、
流しに
包丁2本と、
まな板が2枚出ていること。

おかんが普段使っているのは、
そのうちの1本と1枚。

なんで予備がいつも
出ているんだ?

と、
片づけながらも
疑問だらけでした。

昨日ようやくそれが、
解決したのです。

昨日、
帰宅したおかんが、
次男が昼食で使ったあれこれを
洗い終えたころ、
次男が
部屋からでて
キッチンに来ました。

次男に、
「いつも2本と2枚あるのはなぜ?」
と訊くと、
「野菜用と肉用」
という返事。

おかん「ああそうか、
使い分けたかったんだね。」

次男「気持ち悪くない?」

おかん「お母さんは、
野菜を切って、その後に
お肉を切ったりするよ。
お肉を切った後は、
食器洗い機に入れたり、
ハイター使ってるよ」

次男「順番に使えばいいのか」

なんだか納得した様子で、
夕食の支度は、
1本と1枚で
終わらせてました。

っしゃぁー!

これで
1本と1枚洗い物は減ったぞ。

片付けまで
終わらせることは
まだ目指していないけれど、
手間は減らしていきたいので、
これは1歩前進です。

こういう時は、
「1本と1枚にしてよ!」
と文句を言うより、
対話をして
本人が納得して
自分で変えて行ってくれるのが、
手間はかかるけれど
確実です。

そして
洗い物をしながら
あれこれ考えていました。

いざ1人暮らしをして、
自分で洗い物まで
することになったとき、
彼はおかんのありがたみを
感じるだろうか?
と。

いやいや、
そのまえに
きっと洗い物がめんどくさいから、
作るのやめよう。
ってなる気がするよね。

1人暮らしをしたら、
親のありがたみに気付くとか、
よく言われるけれど、
みんながみんな
そうではないし、
それよりも
1人の楽しさの方が、
今の長男だって、
存分に感じているわけだし。

あんまりそんなこと、
怨念のように
感じながら毎日を送らなくても、
今自分が
自分のために
キッチンをキレイにしてから
使おう。
と思うだけでいいや。

そう思いました。

自分のために
動くことがめんどくさい。
と感じるのは、
それをしてあげる価値が、
自分にはない。
と感じるからだそうですよ。

つまりは
自己肯定感の低さ。

自分には価値があり、
価値のある自分を
大切にしようと思うからこそ、
人は自分のために
行動するということ。

おかんは逆もありだと
思うのですよ。

めんどくさいけど、
ちょっとだけ頑張って、
自分のために
部屋を整えたり、
片づけたりすることを通して、
自分を大切にしていけば、
それが自分で自分の価値を
上げていくことにも
つながるのではないかと。

片付けだけではなく、
人生も、
自分のために、
自分を大切にするために、
生きてくださいね。

それは自分勝手とは
また違う生き方。

自分を大切に
価値のあるものとして
扱うことで、
自分の周りの人も、
価値のある大切な人として
扱うことが
できるようになりますからね。

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