心配と不安と反対(2)

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心配のうち、
不安を感じること。

これも、
完全になくすことは
できないでしょう。

ただ、
できるだけ感じないように
することは、
できると思うのです。

不安を感じる原因は、
わからないこと。

どうなるかが
わかっていることについて、
不安を感じることは
ありませんが、
どうなるかが
わからないことについては、
不安を感じやすい。

だから、
我が子がこれからどうなるのか。
なんていう、
全く不透明なことについては、
不安を覚えやすいのですね。

でも、そもそも、
この先のことなんて、
誰にもわからない。

それに、
我が子の行く末ばかりを
案じているかもしれませんが、
自分自身だって、
この先どうなっていくかは
わかりませんしね。

そこにばかり
焦点をあてていると、
いつまでたっても
不安は消えないのです。

じゃあおかんは、
なぜほとんど
不安を感じていないのか。

おかんにだって、
息子たちのこれからも、
自分自身のこれからも、
全くわからないのです。

でもそのことを
ほとんど不安視していない。

それは、
この先どんなことが起ころうと、
おかんはおかんだし、
その時息子たちに対して、
自分が考える最善の
接し方をするだろう。

ということは、
「わかっている」
からです。

子どもがどうなるかわからない。

という、
「わからない」部分にのみ
着目して不安になるのではなく、

自分はどうなっても
親として対応する。

という、
「わかっている」部分を持つことによって、
不安ではなく、
信じて見守るほうに
いられるということです。

自分に対して、
絶対的な自信がある。
というほどのことでは
ありません。

でも、
永遠に親であることは
間違いないわけだし、
今までがそうだったように、
この先どんなことが起こっても、
おかんはおかんなのだから、
未来のおかんも、
その時
苦しみながらかもしれないけれど、
対応していくことは、
間違いない。

それに気付いてからは、
未来にやたらと不安を感じることは
なくなりました。

不安はないけど、
心配だけは
いつでもしていますけどね。

でも、
こうなってほしい、
こうなってほしくない。
という、
自分の中での願いも
なくなりましたよ。

息子たちに
こうあってほしいとか、
こうあってほしくない。
と感じるのは、
おかんの勝手。

でも、
結局は息子たちの人生なので、
おかんがどうこういうことでは
ないのですからね。

そこを、
こうあってほしい。
とか、
こうあっておしくない。
とか願うのは、
ただ自分自身が
困りたくない、
傷つきたくない、
楽したい。
からなのでは
ないでしょうか?

子どものため。
ではなく、
自分自身を守るため、
自分のエゴにすぎないのでは。
とすら
思うこともあります。

おかん自身がどう感じるか。
ではなく、
子ども自身がどう感じるか。
を基準に、
心配したり、
応援したり、
支えたりは、
していきたいと
思っています。

この先どんなことが起こっても、
対応できる自信がない。

と感じているあなた。

ちょっと落ち着いて、
今までを振り返ってみてください。

どんなことにだって、
あなたは対応してきたはず。

その結果がどうであれ、
あなたは
その時のあなたのベストをつくして、
向き合ってきたはず。

ベストをつくさず、
いつも向き合わずに逃げていたのであれば、
これからはきちんと向きあい、
ベストを尽くす自分を
積み重ねていくだけ。

これからだって、
そういうことですよ。

必要なのは、
何かが起こった時に、
今よりもうまく対応できる
自分になるために、
学び、
行動しつづけること。

「不安だから」
を理由に
動かないことがないように。

行動しなければ、
考えなければ、
いつまでたっても、
不要な不安と心配に
とらわれたままです。

不安と心配で
動けないし、
考えられないなんてことは、
本来ありません。

動きたくない、
考えたくないから、
不安と心配を
理由にしているだけかもしれませんよ。

身体を動かせば、
行動はできます。

口角をあげれば、
笑顔になれるようにね。

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