子どもが勉強しません(2)

自分自身がいろんな面で、
コンプレックスを抱え
自己肯定が低く、
それをベースに
子育てをしてしまったのに、
そこから
今のおかんになれたのはなぜなのか。

長男が小学生だった当時、
発達障害の我が子に、
「普通」を求め続けることには、
限界を感じていました。

諦めたくは、ないけれど、
どう頑張っても、
できないことって、あるよね。

それはもう、
頭では理解していました。
心はまだ、
ついていってなかったけれど。

もう限界。
手を引きたいけど、
引く勇気もなかった自分もいたのは
事実です。

自分自身が
迷いや葛藤だらけだったのだから、
我が子にまともた対応が
できていたとは
とても思えません。

そんな中で、
おかんの支えは、
「それでも勉強を頑張れば、
いわゆる「普通」のカテゴリーに
いられるかもしれない。」
という、うっすらとした、希望。

だから
我が子が勉強するようにと、
頑張ったのです。

でも、
じっとしていることが苦手で、
苦手なことには
集中力を全く発揮できない我が子は、
学習障害はなかったけれど、
好き嫌いがはっきりしていたし、
宿題をこなす。
とか、
忘れ物をしない。
とか、
先生の話を静かに聴く。
などが
全くできませんでした。

そういう状態だから、
勉強だって、
ある程度はできたけれど、
波もあるし、
それ以外のできないことを
カバーしてくれるほどでは
なかったのです。

逆に、
授業中に
先生の話を全く聞く様子では
なかったのに、
質問をして、
長男を指したら
ちゃんと答えたりしていたので、
先生の反感を
買っていたみたいです。

やる気はあるし、
学校が嫌いではなかったし、
お友達もたくさんいたけれど、
彼のままでは、
学校という場では、
うまく評価されなかったのでしょうね。

仕方のないことです。
学校という場は、
約束事やルールを守り、
求められる成果を
決められた時間内に出した人が
評価されるシステムなのですから。

そして、
発達障害や学習障害、
HSCという特性があるということは、
そのシステムについていくことが、
とても困難なのですから。

そんなことも
どんどん突きつけられ、
逃げられなくなったころ、
おかんは偶然、
コーチングと出会います。

こればかりは、
本当にもうめぐりあわせと言うか、
不思議な縁としか
言えません。

ネットで検索して
見つけたのなら、
まだ自分の意思もあるでしょうけど、
自宅マンションのポストに入っていた、
カルチャースクールのチラシで、
たまたま目にして、
子育てに使えるとは全く思わず、
単に自分のスキルアップに
使えるなら、と、
なんとなく申し込んだだけだったのですから。

そこで学んだコーチングを通して、
マインドである、
・答えは相手の中にある。
・100%味方でいる。
・無限の可能性を信じる。
ということを学び、
それを実践していく過程で、
たくさんの気づきを
得たのでした。

そしておかんは、
我が子が学校で
「普通」のカテゴリーでいることを、
めざすのを諦めました(結論が飛びましたね笑)。

とはいえ、
頑張らなくていい、
しなくていい、
と思ったわけではないのです。

おかん自身が、
そこに息子の価値を
見出すことをやめただけです。

学校というモノサシでなくても、
彼を認め、
彼の価値を認めていくことはできる。

他人の価値観ではなく、
自分自身の価値観で、
私はわたしでいればいいし、
なんのカテゴライズもせずに、
息子をありのまま認め、
受け止めていけるようになりたい。

そのためにもまずは、
自分自身の自己基盤を
しっかりと形成しよう。

自分自身を
今のままで肯定しよう。

子育ては、
学んでいるコーチングのスキルを
とにかく実践する場として
取りくもう。

それだけを続けました。

そして
日々の子育ての中で生まれる
自分ではどうにもできない気持ちは、
安心して話せる場を持ち、
そこで出して解消していくことに
したのです。

少しずつですが、
ありのままの自分を、
いいところも
よくないところも
すべてひっくるめて、
それでいいと思えるように
なってくると、
自分自身のことを
大事に思えるようになりました。

そして、
自分自身のことが
以前よりも好きになりました。

自分のことを大切にすると、
そうではないことに対して
とても敏感になってきます。

自分を否定されたり、
他人の価値観を押し付けられたりすることが
とても苦痛なことだということに
気づきました。

そうされることが
自分にとってはとても嫌なこと。

そして、
私はそれを
嫌だと感じていいし、
嫌だと言ったり、
その人から離れてもいいんだ。
ということを
学び、実践していきました。

だって、
自分の人生において、
一番大事な人は、
自分自身であり、
その次が自分以外の人たちなのですから。

優先されるべきは、
自分自身なのですよ。

そこが他人優先になっていると、
自分が自分の嫌なことに対して、
嫌だと言うことが
できなくなっていくのです。

気遣い。
なんていうと、
聞こえはいいですが、
一番大切なはずの自分を
犠牲にしてまで
他人を気遣う必要は
ないのです。

あなたは、
自分自身の人生において、
自分自身を一番大切に
していますか?

これがYESなら、
もうおわかりですよね?

自分が嫌なことは、
他人にとっても嫌なこと。

もちろん我が子にとっても。

そこからおかんは、
息子たちに対して、
否定したり、
自分の価値観を
押し付けることを
しなくなりました。

無理に我慢して
しないのではなく、
自分がそうされたくないから。
というのが
おかんの気持ちです。

自分がされたくないことを
他人にしない。

これは、
小さい頃から
刷り込まれている教えではありませんか?

それがわかっていながら、
我が子に対して、
自分の価値観を押し付けている。

これは、
自分自身に対して、
他人の価値観を許している自分がいて、
そのことに対して、
自分が嫌だと気付いていないからだ。
とおかんは考えています。

ちょっと「勉強」というテーマから
外れましたけどね。

こういうプロセスがあって、
おかんは、
息子たちを
学校という枠や、
勉強、成績と言う枠で
判断するのをやめたのです。

それよりも
そのままの彼らを受け止め、
認めていくことに全力を注ぎました。

学校に行く、行かないも、
勉強をする、しないも、
どんなスポーツをするのかも、
どんな時間の使い方をするのかも、
どんなお金の使い方をするのかも、
そのメリットデメリットを
冷静に伝えたうえで、
本人の判断を尊重する。

自分で決めたことは、
自分で負う。
ということも、
もちろん伝えますし、
それは守ってもらいます。

おかん自身も
そうしていますからね。

選択し、
進むなかで
本人に方針変更が生じたら、
それを責めずに、
その意思に沿って、
こちらのサポートも変えていく。

結果ではなく、
想いやプロセスを
きちんと見て
認めていく。

できる限り自主性を尊重し、
信じて見守る。

それは、
大きな方向転換でした。

スパッと転換できたわけでは
もちろんなく、
試行錯誤し、
行きつ戻りつしながら、
それでもあきらめずに、
進み続けて、
今があるのですけどね。

コーチングと出会い、
その後
おかんと息子たちが
どうなっていったのか。

その続きは、
明日また書きますね~。

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