身の回りのことができる子に育てる~長男編~

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大阪と京都を
往復していた日々から
1年が経ちました。

先日長男から突然、
LINEでメッセージが届いたのですよ。

夜桜の下で、
たくさんの露店が出ていて、
人もたくさん歩いている写真。

「去年やってたやつ」
というメッセージが
一緒に送られてきました。

ん?
なんだ?

今年の画像じゃないのか?

なんで去年やってた画像が
送られてくるんだ?

しかも何故・・・・?

おかん 「楽しそうな画像でいいやん。
でも、今年のじゃないの?」

すると長男から、
「いや、これは今年のやつ」
「去年やってなかった?」
と返ってきます。

まだわからん。

おかん 「去年やってなかった?
の意味がわからない」
「今日行ってきたん?」

長男 「うん」
「去年来た時やってなかったっけ?」

そこから必死で
埋もれた記憶を探します。

おかん 「あーーーーーー!
やってたーーーーーー!」
「あの神社な」

そう。
あれから1年でした。

それは昨年の春のこと。

3月末に
下宿先に引っ越し荷物を
運び込んだのですが、
まさかの布団と
入学式で履く靴を持っていき忘れたと、
長男から連絡が入り、
入学式前日
布団と靴を届けに
長男のところに走った日。

その日は結局
京都で泊まることにしたのですが、
夕食を食べに外に出て、
長男の下宿先に戻る途中で、
通りがかった神社でやっていた
桜祭り?なのでした。

あの時は一瞬前を通っただけだったけど、
とても雰囲気がよくて、
運転しながら
「絶対来年はゆっくり見たいわ~!」
と叫んでいた、あたし。

コロッと忘れてたけど。

叫んだ当人が忘れていても、
きっちり覚えていて
画像を送ってくれる人。

それが、長男。

彼に家事を教えていくのは、
とんでもなく大変な作業でした。

とにかく、呑み込みが悪いというか、
言葉が伝わらないというか、
それは、
発達障害の特性も
あったのかもしれませんが、
おかんがまだまだ未熟だったせいもあり、
いつも最後は、
お互いに怒ってキレてました。

やがて彼は、
家事に対して苦手意識を持つように
なってしまいました。

洗濯だけは、
紙に書いておいたおかげで、
できるようになりましたけど。
(料理も最初からそうすればよかったのかも)

そのまま成長し、
高校生になると、
部活で大忙しになり、
家事を覚えるどころでは
なくなりました。

ようやく落ち着いて
教えられるおかんに
こっちは成長したんですけどね。

申し訳ないことをした。
って
思ってました。

でも、
環境は人を変えるのですね~。

高校生の時、
2度もおかんが入院することになり、
最低限のことを
しなくてはいけない状況に
なってしまったこと。

浪人生になり、
この先もしかしたら一人暮らしを
するかもしれない。
と思うようになったこと。
(そんなに遠い大学を
受験しなかったのに苦笑)

そして長男は、
おかんが留守の昼間、
自分で卵を焼き始めました。

それまで
火を使うことを
絶対に避けていた長男からしたら、
大きな進歩でした。

彼が使った後のキッチンは
最初はどえらいことに
なってましたけど、
まずは文句を言わず、
彼がキッチンに立つことを
嫌にならないように
接していきました。

とはいえ、
部活→受験で、
やっぱり身の回りのことを
あんまり教えてあげられる
機会が持てないままに、
あれよあれよという間に
下宿をすることになり、
行ってしまった長男。

最初は
夕食の買い物から
大変でしたが、
1年かけて、
簡単な食事を作れるくらいまで
成長したようです。

今は友人と
シェアして暮らしていますからね。

自分だけ
何もできないわけには
いかないのでしょう。

おかげで、
一通りの家事は
できるようになったと
本人からは聞いています。

実際を見たことは
ないけれど(笑)、
でも本人が言うのだから、
出来ているのでしょう。

時々会うと、
「○○もしてるよ」
と自慢げに言ってくれます。

おかんも嬉しいけれど、
何より本人が、
自信になっているのではないかと
思います。

子どもを身の回りのことが
できる人に育てるには、
親の忍耐力と工夫力が
欠かせません。

人は、
いっぺんに
短期間に
何でもできるようには
ならないのです。

だから、
教える時も、
一つずつあせらず。

長期戦覚悟で、
望んでください。

そして、
うまくできなくても、
責めずに、
ほめて伸ばしてあげてください。

出来ないところより、
出来たところを見る力を
親自身が養っていくのです。

反省を込めて、
書いています(今ならできるもん)。

子ども自身が、
「自分はダメだ」
って思わない限り、
必要に迫られて
身につけていくことも
可能です。

長男には
その下地しか
つけてあげられませんでしたけど、
その下地があったからこそ、
今自分のことは
自分でできる人になり、
なんなら
おかんの忘れていることまで
覚えてくれている
優しい子になりました。

うまくいったかどうかは
わからないけれど、
途中から、
精一杯学んで取り組んだのは、
間違いない、
長男の子育て。

もっとできたことは
あるかもしれないけれど、
今振り返って、
もう悔いはない。

日曜日、選挙がてら
大阪の家に
まだ置き去りにしている荷物の
片づけに来てくれました。

「自分には実家の荷物を片づけろ。
と言うくせに、
自分は実家に大量の荷物を
置いてるやろ。」

と痛いところを突かれました(爆)。

はい、その通りです。
すまぬ。

片付けのあと、
ちょっと話していたら、
10年ぶりくらいの
折り紙にはまっているんだと、
教えてくれました。

そういえば、
彼のランドセルにはいつも、
折り紙と
折った作品がぎっしり入っていたっけ。

あれから10年。

桜咲く神社の前で
「ゆっくり見に行きたい~!」
と叫んでから1年。

ガミガミ怒ってばかりでも、
何も行動しなくても、
学んで自分を変えていっても、
時間は同じように
過ぎていきます。

心が後ろを向いていても、
横を向いて見えないようにしていても、
立ち止って下を向いていても、
人生はどんどん前にしか
進んでいかないのです。

これからの1年を
どんな風に
あなたは過ごしたいですか?

1年前と
何ら変わりのない、
相変わらず反省ばかりの日を
過ごしていませんか?

それをまた1年
続けますか?

来年の桜の季節を
どんな自分で迎えたいのか。

今一度しっかり考えて、
自分の人生、
顔をあげて、前をしっかり見て
心も前向きに
進んでいきませんか?

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