隣の芝生が青く見えたとき、あなたはどうする?

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昨日
無事に中間テストが終わった次男は、
学校から帰ってすぐ
USJに行きまして。

帰ってきたのは真夜中でした。

あと1日
学校があるけど、
そこは気にせず
行けるその体力が
すごいです。

子育てをしていると、
いつも「普通」にぶつかり、
我が家の状態の
「普通」じゃないところに目が行き、
どうしても
「普通」になりたいと
思ってしまったり
しますよね。

別に他人の普通に
乗っからなくても、
自分たちがそれでいいなら、
気にする必要もないのが、
普通だったりします。

そんな「普通」に合わせるために、
イライラが増したり、
ガミガミが増えたりして、
親子で笑顔を失くすくらいなら、
ちょっと違うよね。
って思われたって、
家族が笑顔で過ごせるほうが、
幸せだと
おかんは思うのです。

隣の青々とした芝生が
うらやましくて、
自分の庭を眺めてはため息。

さてここから、
あなたならどうしますか?

毎日自分の庭を眺めて、
何でうちの芝生は、
青々としないんだろう。

とため息をついては
隣と自分を見比べる毎日。

おそらく、
いくら眺めてたって、
青々としていない芝生は、
そのまま何の変化もなく、
しょぼしょぼのままか、
眺めている間にも
状況が悪くなって、
枯れてしまうか。

そうなると、
最後に残るのは、
自分には芝生を青々と
させることができなかった。
という後悔だけに
なってしまいます。

けれど、
本を読んだり、
専門家に訊いたり、
自分なりに手入れの研究を重ね、
日々大切にお世話をすれば、
気づくと
お隣さんや、通りがかりの人から、
「素敵な芝生ですね」
って言われるように
なれるかもしれません。

自分では
まだまだだと思っていても、
周りから見たら、
既に青々とした
立派な芝生に
なっているかもしれないのです。

もしかしたら、
キレイになった芝生がうれしくて、
素敵なテーブルセットを
おいてみたり、
お花を育ててみたりと、
もっと芝生を綺麗に見せることが
楽しくなっていくかもしれません。

やれるだけのことをやって、
それでもあんまり見映えがしない
芝生のままだなと
感じたとしても、
その芝生を活かした
庭造りっていう可能性も、
ありますし、
それでも
「やれるだけはやった」
という経験は残りますから、
残念だけど、
後悔にはなりにくいのです。

違いはお分かりですよね。

それは、「行動力」。
そして、「あきらめない力」。

お手入れをしたほうがいいけれど、
今日は寒いし、
今日は暑いし、
今日は忙しいし、
と理由をつけて
後回しにしていると、
芝生はどんどん荒れていきます。

ちょっとでも、
今出来ることを
続けること。

少しやっては、
「効果がでない」
とやめてしまうのではなく、
もっといいお手入れの方法を
探しては、
どんどん取り入れて、
結果が出るまで
諦めずにお世話をし続けること。

みんながみんな、
青々とした芝生でなければ
いけないわけでも
ありません。

そこそこの芝生でも、
自分が一生懸命手入れすれば、
愛着が湧いたりも
するものですからね。

芝生も子育ても、
自分自身の人生も、
どれも同じです。

隣の様子が
うらやましく思えるかも
しれませんが、
その状態になった裏には、
努力と継続が
必ずあります。

何もせず、
いい状態でずっといられるものなんて、
ありませんからね。

そんな努力の部分を見ずに、
結果ばかり見て
うらやましがっていては、
いつまでたっても、
満足するものは
手に入りません。

子育てばかりを見て、
あのうちの子はいい子で、
何て楽なんだろう。

って思うかもしれませんが、
その状態をキープするために、
日々接し方を努力されているのかも
しれませんし、
表向きは良さげな親子であっても、
家の中ではどうかわからなかったり
しますし、
子育てに何の問題もなくても、
他のところに
大きな問題を抱えて
悩んでいらっしゃるかも
しれないのです。

ああなりたい。
と願うくらいの強い力で、
自分の子育てを
自分の人生を、
もっといいものに
変えていきませんか?

「できない」は
ありません。

「やる」のか「やらない」のか
だけなんです。

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