私は愛されてきたし、子どもを愛しているという事実

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子どもをしっかり観察すること。
子どもをそのままで受け止めること。
そして
子どもを愛すること。

あなたは子どもを
愛していますか?

そう訊くと、
自分は子どものことを
ちゃんと愛せているだろうか?

と考えてしまうかも
しれません。

子どもを愛する。

というと、
愛情たっぷりに
優しく穏やかに、
子どもを育てているお母さんを
思い浮かべるかも
しれませんね。

でも実際に、
子どもを愛する。
ということは、
そうでもないのではないかと
思うのです。

今現時点で、
大人となって、
生きている私たち。

自分で働き、
自分の生活を
なんとかできるようになるまでは、
親やその代わりとなる人がいて、
衣食住が
ぎりぎりであっても
保てる生活を
していたと思うのです。

時にはそれが
欠けることも
あったかもしれません。

けれども、
大人になるまでの
長い時間を
自分以外の誰かの支えで
生きてくることができた。

それこそが、
愛されていた。
ということだと
思うのです。

ちょっと感覚が違って、
違和感があるかもしれませんが。

接し方が、
自分の望むものでは
なかったかもしれない。

もしかしたら、
ものすごく辛い
接し方だったのかもしれない。

けれども、
最低限ギリギリであっても、
たまに不足することがあっても、
なんとか住むところや
食べるものが
確保されていた。

それは
育てる側の
愛情なのだと思います。

産んだ責任や
義務感もあるかもしれません。

けれども、
その元は、
愛情。

ただそれを
子どもが望むいい形で
伝えられなかっただけ。

誰にも愛されずに
育ってきた。
と感じてしまうくらい、
見えないけれど、
でもそこには、
ここまで生きてくるための
愛情があったのだと
いうことです。

そして
今あなたが子育てをしているということ。

そのやり方が
お子さんにとって
いいかどうかは
わかりません。

けれども、
あなたが子育てを
今も継続しているのなら。

子どものことを
考える時があるのだとしたら。

そこには愛情があるのだと
思ってください。

自分には無理で、
誰かの手に委ねたのだとしたら、
そこには、
そうやってでも
子どもを生きさせようとする、
愛情があるのだと
思ってください。

どんな形であれ、
子どものことを考える。
子どもに接する。
そこには
愛情があるのです。

同時に嫌悪感を
もつことも
あるかもしれません。

そういう形であっても、
子どものことを考える。
それは、
愛情もあるのだと
いうことです。

自分が望むものでは
なかったかもしれないけれど、
あなたは愛されて
ここまで育ってきた。

自分が理想とするものでは
ないかもしれないけれど、
あなたは愛情を持って
子育てをしている。

愛情は、
そんなに幸せに満ち溢れ、
温かで、
穏やかなものばかりでは
ないということ。

憎しみや怒りとともに
ある場合もあるということ。

それでも、
我が子を育てるということ、
自分が無理なら
誰かに委ねるということ、
それはすべて
愛情なのだということです。

あなたは
あなたに関わり
あなたを育んできた
全ての人から
見えないし、
感じない程度だったかもしれないけれど、
愛情を受けてきたのだと
いうことです。

だから、
自分が子どもを愛していない。
愛することができない。

と思わないでください。

そうやって、
子どものことや、
子どもに対する自分の気持ちを
感じることもすべて、
愛情なのですから。

そして、
自分には気づかないほどの
ものだったかもしれないけれど、
あなた自身も
愛されてきたのですから。

愛情が
完全にゼロの状態では、
人は生きることが
できないのです。

生きているということは、
誰かから、
どこかから、
ごくわずかであっても、
愛情をもらっていると
いうこと。

欲しい人から
欲しい愛情をもらえるかどうか。
で考えるから、
「愛されてない」
と思ってしまうだけ。

人はだれでも、
必ず愛されている存在です。

そしておかんも、
あなたのことを
大切に想い、
愛しています。

だから、
まずはそうやって
愛されている自分を
大切にしてください。

そして、
自分が子どもに対して
愛情を持っているということを、
認識してください。

愛情と同時に、
別の感情を持っていても、
それはそれで
事実なのだから
しょうがないですよね。

いろんな経緯があって、
そうなってきたのだから、
そういう感情も
もっているんだ。と
認識していいんですよ。

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