答えはいくつもあるのが正解

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昔、
まだコーチングに出会う前。

おかんはたいがいのことに、
「こうでなければ」
とかたくなに
答えを限定して
思い込んでいました。

自分のことに対しても、
子どものことに対しても。

「こうでなければ」いけないので、
そうではないことが
許せないし、
腹立たしいし、
イライラするのです。

自分とは
全く関係のない人の
言動とかにも、
結構イラッと来る方でした。

一体何様なんだ(笑)。

我が子に対する
「こうでなければ」
は、
持てば持つほど
自分を苦しめます。


学校は
行かなくてはいけない。

学校に行くからには、
ちゃんと勉強しなくてはならない。

悪さもせず、
先生のいう事を聞いて、
真面目に過ごさなければいけない。

宿題は
しなくてはいけない。

落ち着いて取り組み、
きれいな字で、
間違いなく仕上げなければいけない。

兄弟は
仲良くなくてはいけない。

帰宅後は、
宿題をして、
仲良く遊び、
呼んだらやってきて
お手伝いをして、
みんなで食卓を囲み、
楽しく団らんし、
時間になれば
順番にお風呂に入って、
遅くならないうちに寝る。
それが当たり前で、普通。


気づくとそんな思いにとらわれ、
必死でそれに
合わせようとして
子育てをやってきていた
気がします。

頭では、
そうじゃなくてもいいよね。
とか言いながら、
現実は
そうはならないんだと
わかっていながら、
でも
ちゃんとさせなければ。
と頑張ってしまう。

必死だったなぁ。

振り返って思います。


その後、
コーチングと出会い、
子どもの問題の答えは
子どもの中にあること。

子どもを信じて
ゆだねることを学び、
おそるおそる実践していきました。

子どもを肯定していいんだ。
と分かり、
「こうでなければ」

ゆっくりと
「それでいいよ」
に切り替わっていったのです。


でも最近、
またちょっと
違う感覚になっています。

「それでいいよ」
はもちろんありだけど、
それ「で」いい
というよりは、
それ「も」いいよね。
なんだな~って。


答えなんて、
どれでもいい。

自分の持っている答えと
違っても構わないし、
そもそも何をもって
どんな基準で、
それが正しいかどうかを
判断するのかといえば、
自分自身の独断なのだから、
そんなところで
決める必要もない。


子どもの中に
答えはあり、
自分の中に答えはある。

それぞれ違ってもいいし、
それぞれが
それもいい。
なのだということ。

自分の基準で決めた世界で、
子どもを育てなくてよかった。

彼らは彼らの世界の人で、
彼らの考えで
行動していっていいんだ。

私はそれを
そばにいて見守る人で、
彼らから
助けを求められたら、
自分のできることは
喜んでやる人でいよう。

そうやって、
自分のあり方が
定まってきたら、
子どもをむやみに
コントロールしようとは
思わなくなりましたし、
万が一それで、
子どもがうまくいかない時は、
子どもがちゃんと
SOSを出してくれるだろうから、
その時しっかり
サポートすればいいと
思っています。


あなたはどんな親で
ありたいですか?

その答えも、
一つじゃない。

親の数だけ
答えはあります。

だからその答えが
人と違っても
自分を信じて
お子さんと向き合ってくださいね。

うまくいかないということは、
答えが違うのかもしれない。
ってことで、
いろんなことを学んで、
また新しい答えを
見つければいいのだから。

そこに、
「だから私はダメなんだ。」

いらないですよ。


今日もまた、
笑って過ごせますように。

今日もお読みくださり
ありがとうございました。

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